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那須龍寝園

なすりゅうしんえん

成り立ち

 那須龍寝園は吉村大弘仁徳翁様により、那須五峰霊山の麓、高久ヶ原荒野を神誠教奥乃院(おくのみや)御造営地と定められました。

 その後、大弘仁徳翁様のなにごとにも弛まぬ信念と神仏の御守護を賜り、多年にわたるご苦労の末、神域に造成され聖地となる基盤が築かれました。

 また、大弘仁徳翁様亡き後も大弘尊様により、大弘仁徳翁様の御偉業が引きつがれ、大弘尊様の神を信じる強い信念と、神の尊い御神力により、未完成の納骨堂の落成に始まり、難陀龍王様御尊像及び黒龍御宮殿の御奉安新(あらた)拝殿、新道場を含め数々の建造物の建立、神誠教神域敷地の拡大と整備が成り、今日の姿になっております。

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那須龍寝園開山祭

なすりゅうしんえんかいざんさい

 大弘仁徳翁様には、神誠教奥乃院を未来に残す聖地として、那須の荒地を開発され、龍寝園を御造営されました。見渡す限りの荒野を、幾多の歳月と苦難を克服して見事に切り開き、今日のような荘厳な龍寝園を御造営されました。これはひとえに、御祭神様の御加護はもとより、大弘尊様の並々ならぬご精魂と大弘仁徳翁様の旺盛な精神力の賜物に他ならないものであります。

 開山祭は、ここに信徒一同が、大弘仁徳翁様・大弘尊様の御遺徳と御偉業に対しまして、心から感謝申し上げ、御二方の御生前を偲び、御報恩をお誓いするための御祭りでございます。

那須御霊湖祭

なすごれいこさい

 御霊湖祭は、毎年5月のつつじの花咲くころに、那須奥乃院を流れる妙見川(みょうげんがわ)の川面に紙塔婆を浮かべ、管長吉村弘信様のもと、御題目により信徒一同が紙塔婆供養をさせていただく御祭りでございます。

 御祭神様であられます、難蛇龍王様は、信濃の国、霧ヶ峰の七島八島より、清流の流れ入る諏訪湖に御降下なされ、八島大権現と御示現になり、諏訪の地を聖地となされました。

 昭和28年に、その諏訪湖にて、第1回の御霊湖祭が執り行われました。大弘尊様が御乗船なされ、湖面に燈籠を浮かべ、信徒一同にまつわる諸精霊位のご供養を成されたことが「御霊湖祭」の謂れでございます。

 その後、七島八島にゆかりのある那須霊峰の地を神誠教の奥乃院と定められ、神域を流れる妙見川にて御霊湖祭が執り行われるようになりました。

 信徒の皆様が、真心をもって申し込まれる紙塔婆は、すべて御祭神様の御神徳を賜り、御神通力によって直々にご供養頂けることに御霊湖祭の意義があります。

 管長吉村弘信様をもとに、信徒一同が神誠教の御教えに帰依し、一丸となって御霊湖祭を執り行わさせていただくことが、我々信徒の務めであります。

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奥乃院鎮座例大祭

おくのみやちんざれいたいさい

 昭和28年、初めて聖地諏訪湖への参拝が行われ、その後毎年、諏訪湖での祭事を執り行ってまいりましたが、この祭事を宇都宮の神殿近傍において行うことを、大弘仁徳翁様及び大弘尊様が御思案なされ、別院建立を御祭神様に御祈願下さいました。

 昭和39年、御造営に尤も相応しい、七島八島にゆかりのある那須霊峰の麓、高久ヶ原の現在地を御恵み賜りました。昭和42年の春、仮宮殿新築工事の起工式を執り行い、七島八島の聖地より御神水を汲み、御神砂を運び、御分霊を遷宮いたしました。

 昭和43年1月13日、仮宮殿を浄め、御神霊をお鎮め鎮座祭を執り行いました。昭和47年9月新宮三宮殿(にいみやさんみやでん)が竣工し、同年11月に、奥乃院鎮座五年祭と共に、新宮殿並びに、 御拝殿落慶祝賀式典を盛大に執り行いました。

 宗教法人神誠教会奥乃院は、御祭神様であられます八島大権現様、本丸稲荷大明神様、日蓮大菩薩様の二神一仏をお祀りしているお社でありますが、神誠教会会員一同にまつわる御精霊様も開山堂に祀る、いわゆる一切萬霊を御供養する神域であり ます。

 鎮座例大祭は、神誠教会会員一同の此の年の御守護を御祭神様に感謝し、因縁解脱と平穏無事息災を祈念し、併せて世界平和と国家泰平を祈願する御祭りです。毎年宇都宮本会ならびに、東京本会の役員を執行委員とし、祭主に管長吉村弘信様をお迎えし、祭場には神饌(しんせん)を供え、一年に一度の御祭りを祝います。

 鎮座祭の頃になりますと、神域一円は、目にも鮮やかな紅葉に彩られ、御祭りに一段と華やかさが添えられます。宵宮の祭事ではあたりに霊気が漂い、身も心も、神秘的な心地の中で厳粛な御祭りが執り行われますことを参列者一同は体験されることでしょう。

 信徒の皆様、真心をもって御参拝くださいますようお願い申し上げます。

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